魚楽園について

魚楽園の歴史

魚楽しければ人また楽し 人楽しければ魚また楽し

「魚楽園」という名前は、文久2(1862)年に江戸時代の漢学者 村上佛山氏が、中国の詩経の大雅篇の一文にある「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」 から引用して命名したといわれています。
これは当時の京都が応仁の乱で荒廃しており、戦乱から逃れてきた雪舟が、戦争を憂い、平和を願う心境を表したもので、平和への願いを込めた理想郷として策庭されました。
魚楽園の歴史

雪舟について

ユネスコ会議世界十大巨匠に選ばれたただ一人の日本人

雪舟は昭和31年ユネスコの世界平和評議会で世界の十大巨匠に選ばれた傑出した画僧です。
雪舟の生涯の多くは不明ですが、1420年備中(岡山)総社の赤浜に生まれ、 11歳頃今の総社市の宝福寺をでて、京都の相国寺で修行します。
47歳の頃遣明船で明国に渡り、49歳で帰国、1506年、87歳で周防(山口)あたりで亡くなったと言われていす。
九州との関係は雪舟が明国からの帰国後であるといわれています。
その頃国内は応仁の乱で京都には帰れず周防は内乱、博多でも戦が起こっていました。このため密かに糸島辺りに上陸し篠栗を経て田川に入り、豪氏・藤江氏を頼ってきました。
九州には7年ばかりいたようで、「旧亀石坊庭園」や藤江氏「魚楽園」の他に、雪舟築庭といわれる庭がいくつも あります。
そのほとんどが英彦山周辺で、雪舟がここを中心に修行し、築庭や水墨画の励んだ日々があったと推測されます。
魚楽園の歴史

国指定名勝庭園
「藤江氏魚楽園」

雪舟が築庭した庭の中でも特に傑出した文化遺産

庭園のみどころ
庭は神仙蓬菜の思想に基づいて作成されていて、池中の島を蓬菜島と いいます。奥の方に座禅石があり、庭には鶴と亀を見立てています。
雪舟庭園の特徴は向かって左側が険しく、右に行くにつれて穏やかに なっています。人生を表現しているとか、平和を希求しているなどの説があります。
庭園のみどころ
庭園以外のみどころ
庭園には御成門と薬医(矢食い)門と2つの門があります。
御成門はお殿様専用に造られた門で、薬医(矢食い)門はかつて医者の門として、あるいは弓矢の攻撃を食い止める「矢食い」からとの説もあります。
御成門を山側に左折すると「奥の院」の門があります。それをくぐり20mも進むと広場に出ます。そこは安宅の「戸山神社」の別院があったところです。ここからの紅葉見学もすばらしく、一番最後まで紅葉がご覧いただけます。
庭園以外のみどころ