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2021.02.22 読みもの

はちみつの歴史は人類の歴史

蜂蜜は全世界で年間約120万トンの生産量があると推測されており、その芳醇な甘みと栄養で世界中で重宝されています。天然のものなので、地域や場所に、季節によって採取される蜜の色や味も異なってきます。

 

そんな蜂蜜、いったいいつ頃から食卓に上がるようになったかご存じでしょうか?

 

人類と蜂蜜の歴史

蜂蜜を集めるミツバチが地球上に現れたのは、約2千万年~1千万年前といわれています。人類が誕生して数百万年ですので、ミツバチのほうがはるか前に誕生していたんですね。

 

英国には、「The history of honey is the history of mankind. (はちみつの歴史は人類の歴史) 」という古いことわざがあります。

そのことわざの通り、人類は古代より蜂蜜を生活に取り入れてきました。

紀元前6000年頃にスペイン東部にあるアラニア洞窟に描かれた壁画には、野生のミツバチの巣から蜂蜜を採取している人の姿が描かれています。甘い蜂蜜は蜂に刺されても手に入れたい、魅力的なものだったに違いありません。その後紀元前5000年ごろには養蜂家が登場、ギリシャ神話にも「養蜂の神」が登場しています。

そんなにも前から人間と蜂の関係は始まっていたのですね。

 

紀元前2600年頃のエジプトの壁画には、ミツバチの巣箱をつくり、蜂蜜を採取、保存する様子が描かれています。これが、エジプトが世界で最古の養蜂国であるという証拠となっています。エジプト、地中海周辺から始まった養蜂は、徐々に世界に広まっていきました。

 

一方、日本では、「日本書紀」に大化の改新前の642年ごろ「百済の太子が来日し、大和三輪山で養蜂を試みた」という記述があります。平安時代には宮中への献上品の中に蜂蜜も含まれていたようですので、当時は非常に高価で貴重なものであったことが想像できます。

江戸時代には巣箱を使った養蜂が始まりましたが、当時は採取に時間のかかる二ホンミツバチの養蜂が行われていました。

(丹波修治 編撰、溝口月耕 図画 (1872 )教草(おしえぐさ)『蜂蜜一覧』)

 

養蜂技術の進化

昔の養蜂では、現在のように蜂の巣が木の枠にはまっておらず、わらで作ったもの(スケップ)や陶器の巣箱が主体でした。 

ただこの方法では、はちみつを採集する時に巣箱を壊すしかなく、また最初からやり直さなくてはなりませんでした。巣が再建されるまでは収穫が出来ないため、生産量はなかなか向上しませんでした。

 

1850年代、そんな養蜂に革命がおこります。アメリカの養蜂家大きな巣箱の中に何枚もの枠を並べた現在の形(ラングストロス式)を開発。これは自然のミツバチの巣に近い形で設計されています。さらに、1865年、オーストリアで遠心分離機を使って蜂蜜を採取する方法が考案され、巣を壊さないまま蜂蜜を採取できるようになりました。これにより、蜜ろうが蜂蜜に混ざって味か落ちることもなくなり、また、ミツバチへの負担軽減から、収穫量も飛躍的に増えました。

これが近代養蜂のはじまりとされています。

 

このような近代養蜂が日本にはいってきたのは、明治時代。欧米文化の流入と共に、養蜂に適した西洋ミツバチが輸入されたことで、新しい産業として定着していきます。生産性の高い養蜂によって、蜂蜜そのものも庶民家庭に普及していきます。

しかし高度成長期以降、郊外への開発が進み、日本の養蜂業は廃業や転業が相次ぎました。

さらに2003年のメキシコFTAにて養蜂の関税が完全に撤廃されたことにより、安い輸入品のはちみつがスーパーに並ぶようになり、日本の養蜂業は衰退してしまいました。

 

他方、インターネットの普及や美容や健康への意識の高まりによって、日本の養蜂、日本のはちみつに再び注目が集まっていることも事実です。

 

まとめ

今日気軽にいつもの食卓で蜂蜜を楽しめるのは、長い長い歴史の中で人類が試行錯誤を繰り返しながら養蜂の発展に貢献してきたからなのですね。

日本の養蜂家を応援するためにも、積極的に国産の蜂蜜を取り入れていきたいものです。